逃げろ! 〜劇場版〜 (その10)

「お前逹、飛ばすねえ。まあ、いつもの事か」

孝達のすぐそばにサイドカーを停めた笑顔のヤマさんが、刀とドカのタイヤを触る。2台共走行距離に対してバンクさせている時間が長いため、両サイドが異様に削れている。丸いはずのタイヤの断面は三角形になり、旋回中の負荷の大きさから端の方は熱で青く変色している。

「あれっ? そんなに待たせちゃったか?」

タイヤメーカーに勤めているヤマさんは、「女とタイヤは、見て触って確かめるモンだ」というのが口癖で、中でも“遊んだ”後のこの2台のタイヤは大好物なのだ。

バスの件があってからテンションは一気に下がり、パーキングエリアまでの道程を、信夫と孝はゆっくりと流して上がって来た。
当然タイヤに掛かる負担も少ない。
だからと言っていきなり冷えたりはしないが、直前まで虐められていたタイヤとは、熱の残り方が違うようだ。ヤマさんはそこを突いてきた。

「実は、」

孝は、ついさっき起こった信夫の一件を話した。

「なるほどね。そう言えばバスとすれ違ったな。それで、何とも無いのか、信夫」
「ええ、心理的なダメージはありますけど。走行中の安全確認を怠ったツケです」
「何にせよ、無事なら良かったよ。今後はもっと気を付けるようになるだろうしな」
「えぇ。帰りはゆっくり行きます」

力無く返し、信夫はそのまま芝生に行って寝転がった。

風に流される厚い雲が、太陽を横切る。日差しを受けて雲の上半分が黄金色に輝く。雲に転写された日の光は、やがてその輝きを奪われて見えなくなってしまった。
今の信夫は、その太陽だった。
少し経てば雲は過ぎ、今日の出来事も武勇伝のひとつに成るのだろう。だが、この時の信夫にはその余裕は無かった。
そんな中で仲間のテンションも揚がらず、この日のツーリングは早々に切り上げる事になった。



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