逃げろ! 〜劇場版〜 (その11)

時速220キロ。
ちょっとしたカーブでも、遠心力が物理的に存在することを感じる。
とても人間が移動しているとは信じられないスピードだ。
トンネルに入るたびにタイヤの発する‘キーン’というノイズが響き渡り、色彩はオレンジのナトリウム灯のせいですべてグレーに溶けてしまう。

助手席では、もうすっかり慣れてしまった良美が寝息をたてている。
疲れているんだろう。無理もない。

先週の木曜、「給料日だから」ってたまの外食とシャレこんだ孝達は、ファミリーレストランで少し苦いコーヒーのお代わりをしながら、遅くまで話し込んでいた。
あまり客のいない店内に、心地好いボリュームでジャズが流れている。安っぽく冷たいビニール張りの椅子に、ウッドベースの音が温かかった。

「孝、来週の木曜日あたし休みだからさぁ、遊園地に行こうよ。日曜だと混んじゃうからさ」
「遊園地? ヤダよ、そんなガキっぽいところ」
「そんなこと言わないでさぁ、最近よくテレビでやってるヤツあるじゃない。新しい乗り物ができたって」

良美の言ってる遊園地は、孝達の住む街から200キロほど離れた所にあった。最近遅い時間に、よくテレビCMを流している。

「あぁ、あれね。でもあそこって結構遠いじゃん」

昼間行動するのがあまり好きでない孝は、気の無い言葉を返した。昼間のゴミゴミした道路を長時間走るのは、考えただけでも気が滅入る。しかもそれが都会だと、夜中の23倍の時間になってしまうから余計だ。

「何よぉ、セブンで行けばすぐじゃない」

良美は孝の喜ばせ方を知っている。思い切りの笑顔を孝に浴びせてきた。そして少しスネたように、
「それとも孝、あたしと一緒に行きたくないの?」

困らせるのも名人だ。

「そんな事言ってないだろ」
「あのね、会社の先輩がさぁ、先週彼と行ってとーっても楽しかったんだって」
「ふーん」
「ねぇ、行きたい行きたい行きたい行きたい!」
良美は、子供のように身をよじって駄々をこね始めた。大きな声に、疎らな客も視線を集める。
「わかったよ! じゃあ、有給取るから。来週ね」
「うん!」

結局、満面の笑顔に「イヤ」と言えず、木曜日の遊園地行きが決定した。
店を出て駐車場まで、良美のあからさまな程の腰のくびれを引き寄せて歩く。水銀灯の下でクルッと向きを変えた良美は、「約束だよ!」と念を押し、いつもどおり目蓋を閉じてほんの少し顎を上げた。闇の中、柔らかな灯りに照らされて、良美の頬がほんのりと輝いていた。小さな唇にそっと接吻をし、孝は助手席のドアを開けた。

水曜日の夜、遠足前の子供のようにそわそわと眠れない良美は、明日乗るジェットコースターの話や近くにあるショッピングモールの話などで、なかなか孝を寝かせてくれなかった。

「ねぇ、明日晴れるかな?」

その言葉を聞いた頃には、既に小鳥逹が朝の訪れを伝えていた。

降水確率が少し高かったので、良美のFD1992年製 アンフィニRX-7)を引っ張り出した。まだ孝と知り合う前、中古のブーストアップ仕様(ノーマルのターボから送られる追加空気の量を増やし、それに見合うガソリンも追加して、パワーを増加させた車)というのを買ったらしいが、中々力強く、スーパーセブンとは違った面白さがある。

「あたしのセブンも、けっこう凄いでしょ」良美が思い出したように自慢する。スーパーセブンとRX-7。どちらも“セブン”とややこしいので、スーパーセブンは“セブン”、RX-7はその型式であるFD3Sから“FD”と呼び分けていた。
言わば良美の持ち込み資産だが、日常のちょっとした移動や降水確率が高い時には、FDを使う事が多かった。
セブン”から“RX-7”になってしまったが、「セブンで行けばすぐ」というはどちらでも同じだ。

世界でマツダだけが生産し、“アンフィニ”ブランドのFDに搭載したロータリーエンジンが、滑らかに心地良く響く。
結局ロクな睡眠も取らないまま開演時間に急ぐことになったが、眠気はスピードで振り払う。

通勤の車が走り始めた高速を夜中のペースで行くと、たいていの車は道を譲ってくれた。
『驚かせてゴメン。譲ってくれてありがとう』追い越すたびにハザードを点滅させ、お礼とお詫びを繰り返しながらの道程だった。助手席では良美が昨日のテンションを引きずったまま、黒目勝ちの大きな目を輝かせていた。

順番待ちの少ない平日の遊園地は最高だった。昨夜の話題に出て来た乗り物には片っ端から乗りまくり、ジェットコースターにはカメラを片手に3回も乗った。

立地が既に高い場所にあるその遊園地には、高度、落差、傾斜角度、最高速度と、指を折って数えなきゃならない程、世界一を謳っているコースターがある。
レールの継ぎ目を拾いながら、急な上り坂をゆっくりと登って行くコースター。その高度と緊張が比例する。普通は、レールの行く先が見えなくなる頂上部分が緊張のピークと重なるのだが、この日の高い湿度は遊園地の高度と相乗効果を成し、下るレールの先を靄(モヤ)で消している。ほとんど“落ちている”という感覚で逃げ場の無い白い闇に連れ込まれる不安が、この日の緊張のピークになった。

右に左に上へ下へと振られながら、良美に向けてシャッターを切る。掠れるほどに声を上げている絶叫シーンが、どんな出来上がりになるのか楽しみだった。



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