逃げろ! 〜劇場版〜 (その4)

店内に入ると、冷たい風に打たれていた頬が紅潮する。もちろん二人とも、セブンに乗る格好のまま。外の空気が体温を奪って逃げないよう、重ね着をしている。ウィンドウショッピングをしている時には良かったが、暖かい店内ではジャケット1枚くらい脱いだところで暑くて仕方がない。良美が好きなイチゴが載った生クリームのホールケーキを買い、早々に売り場を後にした。

孝のセブンには、トランクスペースが無い。元々は乗車スペースの後方、リアタイヤの上にあったのだが、整備性の悪さから強化プラスチック製のトランクは取り外してしまっていた。今はベランダに放置してある。それゆえ買い物をすると、モノが何であろうと良美の膝の上に載せて帰るのだ。

「ゆっくり帰ろうね」
ケーキの形が崩れるのを嫌い、良美が念押しした。

「うん。良美も寝ないようにね」
優しいまなざしが交差し、セブンはゆっくりとスタートした。

出口という看板に案内されて進むが、料金ゲートを出て地上に出る手前で、前の車が止まってしまった。その前にも何台かの車が止まっているのが見える。
「何で止まっちゃったの?」
「まさか、渋滞かなぁ?」
前の車が吐き出す排気ガスを避け、多めに車間距離を取る。渋滞にしては同じ場所に留まる時間が長い。ゲートをくぐってから、既に10分が経過していた。
地下駐車場の出口に続く路は一方通行。両脇はコンクリートの壁で、前の車を抜くようなスペースは無く、後ろには別の車が続いている。やっと出口が見えた時には、15分が経っていた。

「これは無いよね」
見通しの良い右側に居る、孝が言った。
出口に見えたのは、孝達の出口に対して直角に左から合流する車列。おそらく別の出口からの流れだろう。そしてその流れの先も直角に右へ曲がっている。孝達の流れからすれば、180度の右Uターン。道幅およそ3m。回転の半径はおよそ1m。軽自動車でさえも切り返しが必要となる。孝の前の乗用車も一番左に寄せてから右にハンドルを切ったにもかかわらず、2回の切り返しをしてやっと180度の方向転換を終えた。

次は孝の番だ。左からの流れには、VOLVOのステーションワゴンが止まっている。
「良美、ケーキ頼むよ」
良美には、孝が何をしようとしているのか分かった。セブンはあらかじめ右に寄せてある。
「うん」
短く返事をし、ケーキの取っ手を軽くつかんで宙に浮かせる。
180度先に居る車がスッと前に動いたタイミングを捕まえ、左のVOLVOをけん制して大きくアクセルを煽る。もう一度開けたアクセルがエンジンを高回転に導いたのを耳で捉え、クラッチを合わせた。
上り坂の最後の部分に前足を掛けたセブンの、リアホイールが高速で空転を始める。そしてセブンが前に向かって動き始めたG変化を感じ、孝は右にステアリングを切った。勢い良く左に振り出すセブンのテールは、急な坂道を抜けてVOLVOの鼻先をかすめる。すぐにカウンターを切る孝。180度先に居た車のテールが正面に見えた瞬間、強力なブレーキングによってセブンは動きを止めた。

「ケーキは?」
助手席を向いた孝に、良美は白い歯を見せて親指を立てた。

混沌の地下駐車場を抜け、良美が膝に抱いたケーキを気にしてゆっくりと国道を流していた。2000回転ほどで息づく排気音が心地良い。隣で良美は、すっかり寝入っている。強化プラスチックのバケットシートに包まれた良美を起こさないよう、信号のストップ・アンド・ゴーでさえも、セブンはなめらかなシルクの上を滑っていた。その優しい時間が、突然後方からの高周波に破られた。

「また、フェラーリかよ」
バックミラーに映る光に、独特の甲高い排気音を撒き散らしてフェラーリが現れた。
荒っぽいアクセルの開け方、シフトのタイミング。

「まさかな」
オービスにやられたさっきのフェラーリは、もう居なくなったはずだ。ところが右に並んだ車に目をやると、あの男。そして横には変わらず、ケバ目の女が座っている。
「こいつ、どこから沸いて出たんだ?」
暇潰しにあちこち走りまわっているのか、偶然にもあの車がまたやってきた。

一旦横に並んだフェラーリは、半車身分前に出たり下がったりしてセブンを煽る。孝のセブンと認識したのだろう。次は前を塞いで車を左右に振る。本能的に回避行動を取る孝。左手はケーキの箱を押さえる。その一瞬後に、フェラーリが急ブレーキをかましてきた。

不意にセブンが旋回モードに入った為、頭を振られた良美が目を覚ます。夢の中から聞こえてきた排気音は、現実の映像とリンクした。
「あのフェラーリ?」
心地好い眠りから一気に寒い夜の街に引きずり戻された良美が、不機嫌さを隠さず尋ねた。
「うん。あのフェラーリ。しかも何だかお冠らしい。オービスの事、嵌められたって思ってんのかなぁ」
「お冠って事はそうでしょう」

二人の会話の最中も、目の前でうるさく蛇行を繰り返すフェラーリ。大きなお尻に貼り付けられたテールランブが鬱陶しい。

「ごめんって言ったら、許してくれるかなぁ?」悪びれる様子も無く、孝が笑いながら言う。
「そんな気、全然無いくせに!」
良美も釣られて笑う。
「参ったなぁ。こんな時はどうしよう、良美?」
参ったなんて欠片も思っていない孝のふざけた問いかけに、良美が天を指差して短く言った。

「逃げろ!」

すぐさま2速に放り込み、遠慮なく開けるアクセル。セブンは夜のアスファルトにブラックマークを付けながら、フェラーリを追い越した。



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