逃げろ! 〜劇場版〜 (その7)

「早くぅ。先に出ちゃうよ」
化粧っ気の無い良美が、ヘルメットを抱えて玄関から呼ぶ。

よく「女は出掛けるのに時間がかかる」というが、孝の寝起きの悪さを差し引いても、ほとんど化粧をしない良美の支度は十分に早かった。

「う〜ん。すぐ行くよ」
朝に弱い孝は、寝癖の付いた頭のままバイク用レーシングスーツ(革ツナギ)を着ている途中だ。暦の上では確かに春なのだが、早朝の気温は、まだ冬を名残惜しがっている。良美に起こされてからも、寒さに負けて二度寝してしまった。

「たーかーしぃ」
抑揚の無い呼び掛けに、細くなった良美の目が浮かぶ。
「はい、はい。もう、すぐだから」
急いでレーシングスーツを背負い込むように着てヘルメットとグローブを握り、上気した顔の孝が玄関に出てきた。

「そんなに慌てなくたって良いのに」
孝を見た良美が笑う。

ぴったりしたレーシングスーツを着るには実は多少の労力が必要で、それがレース用のオーダーメイドならば尚更だ。肩、腰、膝、脊髄、前腕(肘から手首まで)と、自分を守るためのプロテクターが随所に入り、鎖骨が折れないように肩も後ろに行かない作りになっている。バイクに乗った時ちょうど良い形になるよう、三次元に立体裁断されたツナギで窮屈そうにブーツを履き、下駄箱の上からDUCATIのキーを取ろうとした。
「あれ?」
「はい。ドカ(DUCATI)のキーでしょ? 出しといたから」

孝と良美のバイクは、車の駐車スペースの奥に停めてある。
二人がそれぞれ自分の車とバイクを持っているので、バイクに乗る時は一旦どちらの車を移動させてスペースを作り、そこからバイクを出す。面倒だが、限られた駐車スペースでは仕方無かった。
俗に、車とバイクを持っている事を指して「6輪生活」と言うが、二人がそれぞれ6輪生活を営み、狭い駐車場は有効な使われ方をしていた。

「ありがとう。じゃあ、行こうか」
「何が “じゃあ、行こうか” よ。待ちくたびれて、首がキリンみたいになっちゃったわよ!」

目だけ笑った良美の膨れっ面を見て、それから自然と視線が下がる。良美のレーシングスーツはパッドが薄い。分厚い方が安全だからと勧めたのだが、カッコ悪いと言って聞き入れなかった。
出来上がってみれば、なるほどと頷かざるを得ない。肌にフィットしたレーシングスーツは、良美のコークボトルボディを際立たせる。今すぐにでも昨夜の続きをしたいくらいだ。

「ねぇ、何だかイケナイ想像してない? 行くわよ!」
知らない内に緩んだ表情を、良美が笑顔で撥ね付けた。
「うん、行こう! みんなが待ってる!」
「何言ってんの。みんなが待ってるんじゃなくって、アナタが待たせてるんでしょ?!」
「そうとも言うな」
「んもう、バカ!」

朝から元気の良い良美との会話で、孝はすっかり目が覚めた。
玄関を出ると、孝のドカと良美のCBR600RRが並んで待っていた。



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