逃げろ! 〜劇場版〜 (その8)

出会った頃、良美はNSR250に乗っていた。これも発売当時は、軽量な車体に強力な2サイクルエンジンを搭載したレーシングマシンのレプリカで、1クラス上のマシンをカモれる実力を持っていたが、ドカと走るのはキツかった。
ドカが、その900cc L2気筒から発生する強大なトルクを使ったスタートダッシュを決めるたび、NSRは常に高回転までぶん回す事を強いられた。
良美が大型二輪免許を取るのを決めるまでに、長い時間は必要なかった。

そして、軽量ハイパワーの600ccクラスを選択し、リアカウルの下から出てくるマフラーが恰好良いからとCBRにした。たった155kg117PSの水冷式エンジンを積んだマシンを得てからは、孝達とのツーリングはより快適で楽しいものとなった。

最初の頃こそパワーを上手く制御できず、バンク(バイクが傾いた状態)したままでアクセルを開け、軽々と空を舞うフロントタイヤに慌てたりもしたが、今では無理にコーナーで付いて行こうとせず、ストレートに入ってからの加速で、楽々と225kg70PSのドカに追い付いていく走り方に変えた。

仲間内で一番なめらかな孝の走りに魅せられ、その走りと同じ柔らかな性格の孝自身にも、次第に惹かれていった。

「良美、愛情運転ね」
「うん。子供からおじいちゃんまで、すべて虜にしてやるわ」
「そうじゃ無いだろ」

底抜けに明るい良美の性格が、孝は大好きだった。

キュルキュルと回るセルモーターの音に続いて、CBRは簡単に目覚めた。対してドカは、センタースタンドを掛けたままキックペダルでピストルの上死点を探り、そこを少し過ぎた辺りから一気に踏み込む。大きな力で地面に抜ける勢いで蹴り下げなければ、エンジンのキックバックによってキックペダルがふくらはぎを叩く。いわゆる「ケッチン」だ。これを喰らったら悶絶するほどの痛みに襲われ、しばらく動けなくなってしまう。
1蹴り、2蹴り、3蹴りと思い切り踏み抜き、やっと、弾ける排気音が辺りに拡散していった。

冷たい空気に撫でられながら、早朝の街を待ち合わせのコンビニ目指して急いだ。
良美の後に付いて走りを見ていると、最初はただ元気なだけでどちらかと言えば荒っぽい走り方だったが、有り余るパワーを躾るためか、アクセルの開閉やブレーキの掛け方までも、随分丁寧になっている。信号からの加速や交差点の曲がり方を見て、たったそれだけのことなのに、孝は嬉しくなった。

コンビニに着くと、大型トラックを受け入れるための広い駐車場の隅っこに、45台のバイクが停められ、周りに缶コーヒーを手に談笑する男達がいた。ドカの弾ける排気音に気づいて、男達が振り返り手を振った。歩道の小さな段差を越えて二人も手を振り返し、仲間達に近づく。孝はキルスイッチでエンジンを切り、惰性で走っている。ドカの派手な排気音を消すためだ。良美のCBRは、直列4気筒の高回転型エンジンが奏でる軽い排気音を響かせて、仲間の前で止まった。
サイドスタンドを立ててフルフェイスのヘルメットを脱ぎ、「遅れてすいません」と詫びた後で頭を左右に振り、肩にかかる髪をほどいた。
「良いよ、どうせ孝だろ」
GSX1100刀に乗る信夫が、細い眼を線にして笑いながら答えた。
「そうだよ。オレだよ」
ドカのセンタースタンドを立てた孝が、ヘルメットを脱ぎながら言った。「ごめんな」と言葉を繋ぐのも忘れない。

孝のDUCATIには、センタースタンドしかない。エンジンを始動させるためのセルモーターは無く、代わりにキックペダルだけが付いている。ドカのエンジンを掛けるためには、思い切り体重を掛けて踏み抜くためのセンタースタンドが必須なのだ。
現在のDUCATIには、キックペダルの代わりにセルモーターしか付いていない。体重を掛ける必要が無いのでセンタースタンドは無く、バイクを傾斜して止めておくサイドスタンドが付いている。多少の不自由さが付いて回るのだが、孝はやはり、このハーフカウルのカフェレーサーデザインが好きだった。

「良美ちゃん、今日も可愛いね」
「ありがとうございます」
1972年式カワサキW1SAのサイドカーに乗るヤマさんが話しかけた。旧いサイドカーに乗り、人懐っこい笑顔にバンダナをたなびかせて走る“人を安心させる笑顔の持ち主”であるヤマさんの言葉に、良美は大きな眼を一層見開いて嬉しげに答えた。

一通り挨拶を終え、「じゃ、行こうか」と空き缶をごみ箱に捨て、北にあるダムを目指した。みんなが無視するのは公共マナーではなく、押しつけられた制限速度だけだった。



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